外観

本應寺年表

  • 1586年(天正14年)

    本應寺開基
    鍋島直茂の姪(華岳妙栄大姉)が、夫・原豊後守直景(籾岳城の城主で沖田畷の戦いで逝去か?)の菩提を弔うために建立 寺号は原豊後守直景の父・原左近大輔氏長の戒名「本應道詮大居士」より
  • 1625年(寛永2年)

    阿弥陀如来木像
    木像 三尺三寸 作者不明 年代不詳(伝鎌倉時代) 小城の嬉野小右衛門茂道より寄進。 三十四世迅誉代、平成 3 年修復、京都市松久宗琳仏所 阿弥陀三尊(あみださんぞん)形式
  • 1719年(享保4年)

    地蔵尊建立(いぼとり地蔵)
    十三世輪誉代 法界萬霊 塩田町 講中 善女人と彫られている
  • 1732年(享保17年)

    山門建立
    武雄市高橋町の市瀬源藏が、鐘楼門の建立と寄付を申し出、川古村の満武氏等の造営により建立。塩田の堤休右衛門を棟梁となし、大工は浜の人であった。太良村岡與平次に山門一式を差図(現場監督)させ、享保 17 年 7 月 20 日に棟上げ
  • 1737年(元文2年)

    屋敷御免地(寺社奉行より)裏門建立 半鐘
    十四世忍誉代 幕府の役人、藩の役人、長崎奉行所の役人を宿泊させたこと、藩に献金をしたことにより、御免地にするとある。
  • 1744年(延享元年)

    本堂再建
    十五世鶴誉代 入母屋造り 平成 27 年(2015 年)瓦を葺き替え、向拝柱を取り換え。
  • 1749年(寛延2年)

    仁王像建立
    十五世鶴誉代 施主は下久間村下田彦左衛門と古賀権左衛門 石工は不明
  • 1785年(天明5年)

    法然上人御一代絵巻物8幅 (知恩院より拝受)
    1.8 m× 2.7 m 八幅 十九世縁誉代 知恩院より拝受  天保 9 年(1839 年)二十四世厳誉代 再表具  平成 27 年(2015 年)三十五世應誉代 修復
  • 1813年(文化10年)

    庫裏・書院再建
    二十二世稱誉代平成 5 年(1993 年)三十四世迅誉代 庫裏は襖を外すと 63 畳の大広間となる。
  • 1836年(天保7年)

    裏門石段、塀、境内石畳
    二十五世巌誉代 平成 29 年(2017 年)三十五世應誉代裏門石段修復 当山歴代上人墓地の中に巌誉上人の墓石がありその墓碑に、裏門の石段、塀、境内の石畳を建立再興とある
  • 1843年(天保14年)

    山門石段・参道
    二十七世根誉代 施主は西岡卯左衛門 西岡弥次郎 参道は近年、補修しているが、下は当時の石張りが残る。
  • 1848年(弘化5年)

    本應寺額
    二十七世根誉代 江戸・芝の大本山増上寺第六十三世巨東大僧正の筆
  • 1854年(安政元年)

    蓮池藩の本陣として使用(1861年まで)
    安政元年(1854 年)~文久元年(1861 年) 蓮池藩大砲放射演習のため、本應寺に藩主を迎え本陣として使用した。高取山を的場として演習が行われたり、布手長渕で船操練を演習した。
  • 1952年(昭和27年)

    戦没英霊供養塔建立
    三十二世愍誉代 本應寺檀家から出征し戦死をされた方を供養する。昭和 12 年日中戦争から太平洋戦争および戦後の関連死、合わせて 195 名の氏名が刻まれている。